禁煙と転職とモテたい願望

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【仮面ライダー555】オルフェノクの本質と歪な未来を「劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト」から考える。

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平成4作目「仮面ライダー555」はこれまでとは異なり、怪人側に焦点を合わせ作品です。

 

明確な悪と善のエッセンスが加えられることで、純然たる仮面ライダーとしての物語を成立させながらも、オルフェノクからの視点を多く描くことで単なる勧善懲悪でなく、生と死が入り交じった人間模様を現すことで今なお根強い人気を誇ります。

 

パラダイスロストはその劇場版。オルフェノクが願望通り、人間に変わって世界の覇権を握ったifの話です。

 

個人的に作中で最も印象深く、その世界観を視覚的に表したシーンが冒頭にあります。

 

人間の世界を再び取り戻すためにオルフェノクに反旗を翻した人類解放軍が、街中に現れた場面です。

 

街中に現れる作戦行動中の彼らの手中には、自動小銃が握られていますが、カフェテラスに座る人々はまるで異な介しません。さらにオルフェノクが彼らを攻撃していても、それが当たり前だというように自然体なのです。

 

そんな住民に変化が訪れるのはカイザにが登場してから。この場面からでもこの世界観の異質さが際立ちます。仮面ライダーは一つの脅威として捉えられています。

 

ここで特質したい点は、街中にいるオルフェノクは全て人間態であるということ。そもそもオルフェノクのは人間時に事故ないし、オルフェノクに殺されることで覚醒します。生まれる過程の違いでその強さは異なりますが、共通しているのは人間であるという基盤が求められることでしょう。

 

つまりは、よく物事の因果性のジレンマとして「タマゴが先かニワトリが先か」と例え話が登場しますが、オルフェノクに限っては人間があってのオルフェノクという進化生命体があると言えるのです。

 

そんなオルフェノクですが、劇中の生活ぶりを見るに、何ら人間の時と変わっていないように思います。子どもも多く見られることから劇中ではオルフェノクの王はすでに顕現し(もしくはそれに準じた存在、物)、オルフェノクの致命的な欠点部が補われているように考えられます。いくら不死性を付与されたといっても不老性がなければ、それも妥当と思われます。

 

それよりも不思議なことはオルフェノクが人間としての生活を元にしていること、そのものです。世界観の歪さを象徴させるが故の演出なのでしょうが、そうでないならば一体どうしてでしょうか?

 

テレビ版はまだ理解できます。まだオルフェノクは世界にとって異質な存在でしかなく、盤上を一気に覆すほどの勢力がそろうまでは表立って行動しない。特に力を持ったラッキークローバーがあえて人間態であるのも、存在を仄めかさないためとの思惑あってのことでしょう。

 

しかしそれが彼らの生活をそのまま切り取っていたとしたら話しは変わってきます。人間の頃と同じように服を着て、食事を楽しみ、人を愛する。

 

最も妥当なのは人間の頃の習慣がそのまま根付いていることでしょう。そう言えば、人間のことを下等だの結構散々罵倒していましたが、人間の文明の事自体については特に言及されていないように思います。

 

そうすると人間種そのものの否定というよりは、言い方は悪いですがナチズムの拡大版のようなものでしょうか。つまりはスマートブレインは「種として優れたオルフェノクが世界を主導するのが世界の正しい姿」という行動理念に基づいて動いているのです。

 

いずれ根絶するであろうけれども、愚かな人間種が我が物顔で跋扈していること自体が気に食わないのです。穏健派代表であった木場ですらも共生でなく、「共存」という言葉を使っていることとからも、オルフェノクと人間では超えられない壁を感じている、もしくは隔離した別種の存在であると無意識下に感じていることがわかります。

 

図で示すなら下記のような構図です。あくまでオルフェノクとは人間種からの正当な進化体。他の強大な生物にも見向きもせず、ひたすらに人間のみに敵意を持つのも頷けます。

 

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そうであるならば、オルフェノクが覇権を握った未来はどうなるのでしょうか?

 

圧倒的な力を持ちながらも、それが標準化されてしまえば社会において何ら意味を持ちません。社会の中で純然たる力を持ったということに意味が無くなるでしょう。すると面白い現象が出てきます。ここからは想像でしかありませんが、人間体で異能の力を持つものオルフェノクほど優れたオルフェノクという風潮へと変わるのでしょう。

 

先に書いたとおり、これまでの生活を続けていく上で、共通規格である旧人類の文明は彼らにとって必要不可欠です。それぞれのオルフェノク体に合わせてオーダーメイド品を普及させていくよりも、確固としてフォーマット化された人間体に合わせた方が量産体制に向いているからです。ですので僕らが生きていく世界と同じような文明が継続してい発展していきます。

 

普段は人間体で過ごす彼らが、多種に渡る特性を得たオルフェノク自身をいかにすぐれた存在だと比較するポイントが、人間体で力を使えるかどうかです。

 

作中で、ラッキークローバーの一人である琢磨逸郎が「オルフェノクの力を完全に自分のものにすれば、人間のままでもある程度その力が使えるようになるんですよ」と話していたように、どのオルフェノクでもその可能性はあるけれども、それが出来ていたのは力をもった幹部レベルだったことを加味すると、ある種の才能と努力が必要と思われます。

 

オルフェノクが基盤となった世界では、人にはできなかった行動が必要になる少なからず求められる場合もあるでしょう。しかし、そんな力を利用することはあまり無いように感じます。では、どういった場面で使われるのか。

 

すぐに思いつくのは戦場や犯罪といった破壊行動です。もちろん工事現場や農業などの肉体労働従事者など力を正しい方向に使える人の方が多いと思いますし、海洋や寒さに耐性のあるタイプでしたら、これまで明らかにならなかった深海や氷山などの一層の開発に貢献してくれるでしょう。

 

しかし、実際はその本能のまま能力を悪用する犯罪者や反社会組織に与する数も一定いるでしょう。すると一般社会の中で悪であると言われる存在の方が、オルフェノク体でいる頻度が多いという歪な社会が形成されていきます。常に人間態で一定の力を使えるオルフェノクが正義で、本質に基づいた姿でいるものが悪。そんな未来です。

 

そうするとオルフェノクとは一体何なんでしょうか。そうあるべきように生まれてきた存在が悪の象徴となる。思うにそれは「惰性からの脱却」ではないでしょうか。小説版では覚醒すると本能的に「殺害衝動」に駆られるとありますが、本質はその衝動なのです。

 

人を駆逐する、人と共存する。胸の内に沸き立つ衝動に一定の指向性を与えてやることで、言葉通り枠外の行動が可能になる。つまりはオルフェノクとは既定の人に「本能的衝動と、それに付随して力に耐えられるだけの頑強な肉体を与えた」だけなのではないでしょうか。

 

 

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