禁煙と転職とモテたい願望

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ウンコマン現象発祥のアダ名が今ではとても愛おしい

僕は中学時代に「モチ」と呼ばれていたことがある。それは別に僕のお肌がつるつるだったり、特別白かったからではなく、単純にうどん屋で周りが肉うどんや海老天を頼んでいる中で、興味本位で力うどんを注文したことが原因だ。

 

いわゆる小学校から中学校の期間のみに適用される「ウンコマン現象」。学校でうんこをするだけで「あ〜、○○がうんこしてる!ウンコマンだ!ウンコマン!」と蔑称で呼ばれるアレだ。

 

かくして僕はずっと「モチ」と呼ばれることになった。それはいつの間にか呼びは浸透していて中学時代は本名よりもその名で呼ばれた回数のほうが多かった記憶がある。そんなわけで当時はとても嫌で仕方なかった名前だが、中学を卒業し、高校に入るとパタと呼ばれなくなった。

 

そうなると人間わからないもので、不思議と寂しくなる。今まで「モチ=僕」だったのが、急に「モチ≠僕」になるのは半身を失ったような感覚すら覚えたほどだった。

 

もちろん、高校には同じ中学のメンバーもいたのだが彼らも徐々にあだ名で僕を呼ぶことは少なくなっていって、入学して半年が立つ頃には呼ばれなくなった。それもそうだろう。最初に書いたが、このあだ名は突発性のウンコマン現象から生まれたもので、僕の外見からはあまりにも離れていた。

 

思うに、「ウンコマン現象」でついた呼び名というのはある意味で奇跡のようなものだ。その名前に隠されたバックボーンを知らなければただの事実の羅列と変わりない。

 

その背景を知らない人が、なぜ僕がその名で呼ばれることになった理由を聞いても「それだけ?」と失笑するのは仕方がないし、僕が逆の立場でもそう思う。

 

外見を取り繕うスキルを持っていないころの僕。いうなら裸の僕が、そう当たり前に呼ばれるべきキャラクターであった土壌を知っている友人のみで通用する究極の内輪ネタというべきものだろう。

 

今では地元のメンバーでもその名を呼ぶ人はいない。

 

僕も友人を当時の蔑称のようなあだ名で呼ぶことはいつの間にかなくなった。

 

それは僕らが大人になったからだけではなく、単純に忘れたからというもの大きい。

 

いつの間にかモチと呼ばれなくなって名前で呼ばれることに慣れていって、ふと仲間内で飲んでいるときにだけ思い出すだけになっていく存在になるのだ。僕ははっきりと覚えているけれども、友人が「そういえばお前、昔、モチって呼ばれてたよな〜」と言われたときに「うわ〜、くっそ懐かしいな!」と合わせるだけの話のタネの一つになっていく。

 

モチと友人から呼ばれると、今では一種の哀愁と懐かしさを感じるだけになって、当時の情景を少しばかり感じる。楽しかったあの頃。つらかったあの頃。そのどれもが今はとても大切で、だからこそ忘れたくなくて、そんな蔑称なあだ名を後生大事に残しているのだろう。