禁煙して半年が経った。
タバコを吸いたいかと訊かれると正直どうでもいいと思っている。
誘われれば、アザーッスと言ってもらいタバコもするし、何もなければ吸うこともない。最近ではずっと控えていたコーヒーも解禁し、学生時代から贔屓にしていた喫茶店通いも再び始めた。
最近よく言われるのが「たまに吸ってるのにまた吸いはじめないのすごいな」という言葉。
正直、ごもっともだと思う。僕ももらいタバコをけっこうするけれども、タバコを自主的に吸いたいと言う気持ちにはならないことは奇跡だと思う。
少なくとも、一ヶ月に一度は飲み会の席やなんやらで1本は吸っている。特に今月は月初に身内の結婚式があり、2次会を含めると5本以上喫煙してしまった。
流石に式の次の日は、「あー少し吸いたいかも」くらいの軽い欲求が出たけれども、それも簡単に封殺するくらいの軽い奴だった。それから今日までまだ吸っていない。
そんでもってこの前母から電話があった
おかあちゃん「あんたさ、タバコやめとった言ったよね?」
ぼく「?やめたよ」
おかあちゃん「でもこの前結婚式で吸ってなかった?」
ぼく「うん、吸ってたよ」
おかあちゃん「それって、やめてないよね」
ぼく「いや、やめたよ。少なくとも朝起きてまずは一服みたいな生活習慣はないよ。だからあれ以来吸ってないし」
おかあちゃん「・・・・・・それは屁理屈じゃない?」
ぼく「屁理屈なの、かな?」
以前のブログでも、喫煙者がタバコを卒業したことになるのはいつからになるのかという文章を書き、その中で「喫煙すると言う生活習慣がなくなったら」としたが、やっぱり非喫煙者の人にはその理論は通用しないっぽい。
ちなみに母のタバコをやめたと言っていい基準は
頑としてタバコを吸わず、買わず、(家に)もちこませず
非核三原則っぽいと伝えると、それをベースに今考えたらしい。
浅い考えをすぐに口にするのは遺伝だと思った。
ともかく世間のタバコに関する認識はいよいよ厳しくなる一方だ。
けれども少し思う事がある。
この立ち位置ってすごくお得ということ。
1.非喫煙者に対し「タバコやめたよ」アピールができる。
2.喫煙者に対し同上と「いや~世間の波はツラいっすね」と喫煙者の立場からすり寄れる。
3.非喫煙者と一緒に「タバコはけしからん!喝ッだ!喝!」と上から目線で話せる。
まあ、言ってしまえばどっちつかずのコウモリ野郎なのだが、それでもどちらの立ち位置にいられるというのは非常に心地がいい。
お酒が入って、気持ちよくなってきた時に吸うタバコはやはり格別だと思う。
これからも依存はせずに。それでも少し寄り添いながら。そんな中途半端な禁煙ライフを歩もうかと考えているのは、やはり無意識化でタバコの依存にがんじがらめになっているからなのだろうか?